東南アジアには、数百年にわたり根を下ろしてきた華人(中国系移民とその子孫)が大きな存在感を示しています。彼らは一枚岩ではなく、早期の移民子孫から近年の中国本土や香港・台湾出身の新移民まで、その背景や文化、社会への同化の度合いは実に多様です。本稿では、人口規模や歴史的背景、経済ネットワーク、そして近年の変化を概観してみたいと思います。
国ごとに華人の比率は大きく異なります。
このように、国ごとの人口構成は多様であり、華人の社会的位置づけも国によって大きく異なります。
華人の移住は明清時代(明:1368〜1644年、清:1644〜1912年)の海上交易や鉱山労働にさかのぼり、ペナンやマラッカ、バンコクなどに定着しました。その中で生まれたのがプラナカン文化(代表例:峇峇(Baba)・ニョニャ(Nyonya))です。これはマレー文化と中国文化が融合したもので、独自の言語、衣装、料理などを形成しました。
また、言語面では福建語・潮州語などの方言が伝統的に用いられてきましたが、シンガポールでは1979年からの「講華語運動(Speak Mandarin Campaign)」により、標準中国語(マンダリン)への統合が進められています。
東南アジア華人を語るうえで欠かせないのが「竹網(Bamboo Network)」と呼ばれる経済ネットワークです。これは家族経営や同郷の信頼関係を基盤とした企業ネットワークで、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、ジャカルタ、マニラなど主要都市を結んでいます。90年代のアジア通貨危機を経て、近年はより契約ベースの経営に移行しつつも、資本や情報、人材の流れをつなぐ重要な役割を担い続けています。
近年は中国本土からの新しい移民や投資家が各地に増え、従来の華人社会に新たな層が加わっています。一方で、中国の国際的イメージが現地の華人社会への見方に波及するリスクも指摘されています。特に「中国国家への評価」と「華人という民族集団への評価」を区別することが重要だと、東南アジアの研究機関は繰り返し指摘しています。
東南アジアの華人社会は、長い歴史と多彩な文化を持ち、地域経済や国際関係において欠かせない存在です。同化と伝統保持、現地社会との共生と新移民の増加――このダイナミックな変化を理解することは、東南アジアを知るうえで大きな鍵となるでしょう。